研究活動
日時:2021年1月9日(土)、10日(日)(終了しました)
会場:京都大学吉田南キャンパス 総合人間学部棟地下1 B05講義室/オンライン(Zoom)
【プログラム】
■1月9日(土)
発表1 13:30‐15:30
鈴木珠里(イラン文学、中央大学)
「イランの現代女性詩人 フォルーグ・ファッロフザードとスィーミーン・ベフバハーニー その作品の先」
イランを代表する二人の女性詩人、フォルーグ・ファッロフザード(1935-67)とスィーミーン・ベフバハーニー(1927-2014)がそれぞれ活躍した時代背景を追いながら、彼女たちにおける Home/Homeland にも着目しつつ、対照的な二人の作品を紹介し、それぞれの作品がどのように受容されているかを比較検討する。
発表2 15:50‐18:00
中島夏樹(作曲、映像クリエーター、東京藝大)
「デングベジュ」――クルド民族、記憶の語り部
映像鑑賞「Dengbej」(50分)
コメンテーター 磯部加代子(トルコ語クルド文学翻訳家)
クルドの口承文学として、すなわち「音」として残されたデングベジュの伝統は、クルド民族に対する周辺からの弾圧、抑圧がその出発点としてある。歴史上、多くの国から虐げられてきたクルドの人々の記憶を、デングベジュは「心の叫び」として声にする。トルコにおいて長い間、クルド語は禁止されてきた。しかし、彼らはクルド語で歌い続けた。それは、母語を剥奪され、沈黙を強いられてきた人々の苦しみを癒し、解放するものであったといえる。デングベジュについて、自身が制作したドキュメンタリー映画と合わせて、北クルディスタン(トルコ南東部)での取材報告を行う。
■1月10日(日) 11:00‐16:30
発表1
中村菜穂(イラン文学、大東文化大学)
「20世紀イラン文学における “閉ざされた場所” について」
パンデミックの状況下で「隔離」の語は誰にとっても身近なものとなったが、イランの文学に関しては、こうした観念が文学の深層心理の重要な一部分を占めてきたように思われる。この報告では、閉塞への恐怖とそこからの解放を求めた現代文学の一側面について考察したい。
発表2
田浪亜央江(パレスチナ文化研究、広島市立大学)
「アダニヤ・シブリーの作品について」
パレスチナ出身の若手作家アダニヤ・シブリー(1974-)の中編小説「どうでもいい情報」は、1948年のナクバで起きた一つの事件の真相について、現代のパレスチナ人が追求する過程を描いている。時間的なギャップや地理的な分断を越えることの無理をそのまま描いたこの作品の概要を紹介し、皆さんの感想を伺いたい。
発表3
石井啓一郎(翻訳家、トルコ・イラン現代文学)
「アーザルバーイジャーン」という郷里、「アザルバイジャン」という祖国
~20世紀のアゼルバイジャン語文学にみるワタン像の一考察~
イランにおけるアゼルバイジャン語詩の大家として敬愛されるモハンマド・ホセイン・シャフリヤールは、イランにあってアゼルバイジャン語の創造的な可能性を問い「知的闘争」を志向した詩人である。最高傑作『ヘイダルババよ、ごきげんよう』と『サハンド』に焦点をあて、詩に結晶させた「イランに在る郷里」への想いを紹介する。併せてアラス以北のアゼルバイジャン共和国の作品から、イランとアゼルバイジャン共和国にまたがるアゼルバイジャン人の生活圏を「引き裂かれたひとつの祖国」であるとする共和国側の歴史認識の一端を文学的言説のなかで対比して、南北アゼルバイジャン人の「ワタン」をめぐる意識の差異についても考察したい。
【主催】
中東現代文学研究会
【共催】
科研基盤研究(A)「トランスナショナル時代の人間と「祖国」の関係性をめぐる人文学的、領域横断的研究」(代表:岡真理)